「徳永利美」さんという名前にピンと反応できる人は、自分と同年代でかなりのオタクと断言できる笑
今から遡ること44年…、甲子園の「昭和の怪物」江川卓が世間で騒がれていた頃の話ですが…
昭和48年、夏の選手権で江川卓の作新と柳川商業(現柳川高校)が対戦したと言えば…「あ~」と反応してくれる人も増えそうな気もします。徳永利美さんとはその時の柳川高校の4番打者です
昨日、柳川高校の同窓会でその徳永さんの講演会が約1時間半ありました…。
で一般の人もその講演は参加できたので…モノ好きな自分はOBでもないのに柳川に行ってまいりました笑
44年前、野球少年だった当時の自分は、スコアブックをつけながら一球も目を離さず全神経と情熱とであの試合を見ておりました。
なんと言っても当時の江川は栃木予選の2試合をノーヒットノーラン、県予選通じて打たれたヒットが2本と言うありえない記録で甲子園に乗り込んできて、もうその江川見たさに毎日テンション上がりまくっていた記憶があります。
よりによって当時の柳川商業の吉田主将(現飯塚高校監督)が作新とのクジを引き当てて…昨日の話では喜んだのは当時の福田監督だけで、あとはみんな「せめて一回戦は勝ちたいと思った…」と笑
で…自分は江川のファンをずっと続けた(んにゃ現在も進行形)けど、唯一あの試合だけは福岡代表の柳川商業を全身で応援していたわけですなぁ…
記者の誰もが作新有利としか書かなかった試合で、バスター打法で柳川が先取点を取りましたね。3番打者松藤選手の3塁打今もハッキリ覚えてます。
結局23個の三振を喫して延長15回で作新のサヨナラ勝ちだったけど、大いに盛り上げた柳川商業の記憶は今も鮮明に残っています。あの試合は自分の中でも特別な試合としてこれからも残っていくと思うのです…。
そのときの4番打者の徳永さんは、卒業後法政大学で江川と同僚となり4年間過ごされ社会人新日鉄へと進まれたようです。社会人では監督も経験されて現在は福岡の建設会社の副社長をされているとのことでした。
昔の高校球児にありがちなヤンチャなイメージとは裏腹のとても落ち着いたマイルドな雰囲気、いかにも企業人のイメージに「へぇ~」と驚きを隠せなかったのであります(笑)
タイトルが「野球人である前に企業人であれ」というタイトルなので、まぁそんな内容のお話でしたが、随所にオタクにとってはとても興味ある裏話もあって…すっかり気分は44年前に戻っていた90分でした…。
途中からは現役の柳川高校野球部員に「とにかく誇りをもって悔いがないようにしっかり練習してほしい」とのメッセージを強く連発されてたのが印象的でした。
ちなみに徳永氏曰く「僕の野球人生で一番早いボールを投げていたのは、やはり江川卓、あと2人津田恒美と山口高志」とのことでした…これも納得(笑)
う~ん44年早すぎる…
何はともあれ、手に汗を握って必死にスコアをつけていた直向きさを思い出させてもらった講演に感謝!